■「紙ふうせん」 後藤悦治郎 さん■

■朝日新聞 2000.9.14 より■

そば打ち愛好会 特別会員
「紙ふうせん」後藤さんの活躍が
紹介されていました。


       「悲しみのない自由な空へ」
        鎮魂歌だと気づいた


20年以上も歌い続けてきた曲に新しい発見をしたのは、阪神大震災の傷跡がまだ生々しい神戸のステージでだった。
 「この曲はレクイエム、鎮魂歌なんだ」
 「翼をください」(山上路夫さん作詞)を歌いながら、後藤悦治郎さんはそう思い当たった。
 今 わたしの願いごとが かなうならば 翼がほしい この背中に 鳥のように 白い翼 つけてください

 震災から2ヶ月が過ぎた1995年3月21日、神戸中央区の新神戸オリエンタル劇場。「がんばろうや We Love KOUBE」と銘打たれたチャリティーコンサートの舞台に後藤さんはいた。妻の平山泰代さんが「翼をください」を歌い始めると、聴衆から自然に合唱がわき起こってきた。それに合わせるように、悦治郎さんがハーモニーをつけ、メロディーラインは高まり盛り上がっていく。
 この大空に 翼をひろげ 飛んでゆきたいよ 悲しみのない 自由な空へ 翼 はためかせ ゆきたい
 6000人を超える犠牲者をだし、街並みは破壊されていた。生き残った人々は不便な生活を強いられ、大切なものを失った虚脱感に襲われていた。悦治郎さん夫妻もそんな被害者の一人だった。
 「生きるということはこんなに不自由なことなのか」という思いがあった。それと同時に、亡くなった人たちの鎮魂を願わずにいられなかった。「本当に自由になってください。平穏であってください」。「翼をください」をみんなで歌うとき、そんな思いや願いを被災者同士で共有しあえたように悦治郎さんは感じた
■ 大阪の千里丘陵で万国博覧会が開かれた1970年、兵庫県立尼崎北高校の同級生だった悦治郎さん、泰代さんを含む5人はフォークグループ「赤い鳥」でデビューした。「翼をください」は、その年に発表された。
 「物欲も含め、希望に向かって飛んでいこうという上昇機運に乗った歌だったんです」。高度経済成長のただ中で、工業化が急速に進み、国民の所得は倍増しつつあった。世界有数の経済大国にのし上がっていく、そういう日本の姿と重なり合うように大ヒットしたのが「翼をください」だったと悦治郎さんは思う。
 


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