| そば研究家 新島 繁 さん |
| 1月17日死去(心不全)80歳 |
2月27日朝日新聞より |
| ミイラ取りがミイラになるように、そば好きが高じてなったというそば屋が出発点だった。 戦後まもなくの1948年、東京・新宿で開業。素人の店が生き残るため、神田の古本屋街などを回ってそば作りの資料や文献を集めた。 これを基にはし袋に印刷し始めた「そば通メモ」が、好評となり、やがて季刊誌を発刊。「そば会」を開いては、古式そばや創作そばなど研究成果を披露した。 古い文献を調べるほど筆者の誤解に気づき、疑問も膨らんだ。70年、自宅に「日本麺食史研究所」の看板を掲げ、そばの原産地・中国にも足を伸ばして、「蕎麦史考」や「近世蕎麦随筆集成」など、体系的なそば文化史を初めてまとめた。 そばがきから現在の「そばきり」が生まれた歴史をたどり、江戸中期とされていた起源が江戸初期の1614年にさかのぼることを突き止めた。この研究がきっかけで、長野県内の郷土史から、起源がさらに約40年さかのぼることも分かった。そばをテーマにしたテレビのクイズ番組にもよく協力した。 「職人が体で[こんくらい]と覚えたいる仕事も丹念に紹介された」と東京の同業者で友人だった荻原長昭さん。大阪市の薩摩卯一さんは「そばには一家言ある客が多い。だだ作るだけでなく、客とのコミュニケーションや新しいメニューを考えるうえで、貴重な知識を提供してくれた人だった」と惜しむ。 戦前の台湾出身。上京して早大専門部に入るが、終戦の混乱で帰国を断念した。「市井の研究者だが常に一級の資料にあたり、想像では発言しなかった」と著作を手伝った出版社の永田雄一さんは言う。 「日本のみなさんができなかったことで役に立てた、と誇りにしていました」と妻のフミエさん。台湾に帰郷したのは結婚後の一度だけだった。 (企画報道室 八田 伸拓哉) |
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