全麺協会員 農事開発研究所所長

谷端 淳一郎  (福井県今立郡池田町)

全麺協 公認審査員

ZEN麺No.4「特集」より


1.始めに
 豪州におけるそばの栽培を思いつくきっかけは、昭和60年(1985年)の秋に福井県玄そば組合長であった中山重成氏(越前そば道場・道場主)から「そばは夏に多く食されるが、その時期になるとそばの風味が落ちて困る」という言葉を聞いたことでした。その頃、総務庁が主催する「第19回 青年の船」に福井県から班長として参加することに決定していた私は、「この機会を、福井県や地域発展のために役立てたい」と願っていました。そして、福井県を代表する食文化の一つ、”越前そば”のレベルを更に上げるには、より新鮮な玄そば(新そば)を入手する必要があり、そのためには「季節が逆の南半球での栽培が有効ではないのか」との思いが南半球の豪州と結び付いたことから「豪州そば」栽培の取り組みが始りました。

2.地域づくりへの夢
 このような思いに至るには、「地域づくりへの夢」がありました。学校を卒業後入社したした大阪にある企業を辞し、私は24歳の時に隣町の地方公務員として再就職しました。その時に入団した「青年団」の活動は、高度経済成長に衰退した地方の再建活動(ふるさとづくり運動)に精力的に取り組んでいました。当時の地方は、長州神奈川県知事(故人)が提唱した「地方の時代」を模索している時期にあり、「青年団活動」はその先頭に立った活動を実践していました。昭和48年に起こった第一次オイルショック下で都会生活を体験し。「地方の時代」を実感していた私はまたたく間に「青年団活動」にのめり込みました。しかし、「青年の力で地域再建を!」と叫んでも、当時の私達にはビジョンが全く浮かびませんでした。「地域づくり」への熱い思いを具体的なビジョンにする為、私達は「十勝ワイン」で有名な北海道池田町を手始めとして「まちづくり先進地」の視察を開始することにしました。この視察はどこからも補助を受けない全く自前による全国行脚によって、北海道から九州までの「まちづくり先進地」を丹念に訪れました。視察の結果、私達の頭の中には「地域づくりとは自らの生活づくり(生活再建)であり、地域の産業おこし(産業再建)である」との意識が次第に明確になってきました。
 30代に入る頃になると、青年団の仲間達がそれまでのサラリーマンを辞め、農業を中心とした新しい地域産業を創出し始めました。一緒に全国行脚をしていた仲間達がそれぞれ生きる道を発見し、自ら起こした新しい仕事に励んでいる姿は、地方公務員に甘んじている私の生き方に大きな刺激と夢を与えました。
私は「自分も地域を舞台にして、何かを始めなければならない」と。強い義務感と使命感を感じて焦っていました。全国の「まちづくり先進地」の可能性・・・・。私は考え悩み抜いた末に「地域づくりは楽しくなければ続かない、そのためには「やるべき」ことよりも「やりたい」ことをはじめよう。」との結論に達しました。そして、今まで外に向けていた目を「私は何がやりたいのか」と自分自身に向けたのです。そして私の大好物で、地域でも昔から親しまれている「そば」に着目したのです。






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